主人とのとあるエピソードを話した時の感想でした。
この「アセンディッドマスター」とは「悟りを開いた師」という意味で、つまりは修行のために生まれた魂ではなく、修行するみんなを手伝ったり卒業させるために肉体に宿った存在、ということのようです。
主人はよく、スピリチュアル系の方にこのように言われます。
私自身も彼のことを「かなり悟った人」という風に感じています。
だから「あなたのご主人の魂はマスターだ」と言われると「そうだろうな」と思うのですが・・・・
でも私の魂もマスターなのよ、と思うのです。(笑)
そして「そう言って下さったあなたも、そこを歩いているあの人も、あちらの人も、みんなマスターなのよ、本当は」と思うのです。
【私達は修行し成長する為に生まれて来た】という概念には本当によく出会います。
そこから「たくさん修行して成長度の高い魂や、まだ経験不足の若い魂がいる」なんていう考えも出て来たりします。
すると・・・自分の魂について、優越感やら劣等感やらを抱くような事も出てきます。
私が私の真実として受け取っているのはそうではありません。
コ・クリエーションメソッドのセミナーでもお話するのですが、
魂はみな横並び。
上下はないんですって。
「悟りを開いた魂として、こういう人生を生きる」という設定があるだけ。
「まだ発展途上の魂として、こういう人生を生きる」という設定があるだけ。
魂にも悟ったものとそうでないものとがいる、上下がある、というのもまた幻想なのです。
もちろん、この幻想が悪いわけではありません。
この幻想の中から得られるものがたくさんある・・・大切な設定だからこそ存在するんです。
でも、私達はそろそろこの設定を必要としなくなっているのではないでしょうか?
次回のコ・クリエーションメソッドのセミナーでは、魂の設定を変える、というワークが入りま〜す! 乞うご期待!
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